人間は、1日のうちの時間帯によって、気分が左右される傾向があります。たとえば、午前中は何だか気が重いけれども、午後になると元気になって、日が暮れるとついつい居酒屋に行ってしまう……という人がときどきいます。これは単純な例ですが程度の差こそあれ、人間誰しも、1日のうちに「気分の変化」が生じてきます。また、気分は天候にも左右されます。好天の日は、デパートの売り上げが伸びたり株価が上がったりしますが、雨天や曇天の日は、その逆の現象が起こるそうです。ですから、同じ環境にいても、1日の時間帯や天候によって学習効果が上がったり、逆に下がったりするものなのです。そこをしっかり理解しておくと、学習環境を、気分に応じて自在に変えることができます。たとえば、午前中や曇天のときに調子の出ない人は、できるだけ「学習モード」が高まる場所に行くようにすれば、「乗らない気分」を「乗せる」ことができます。逆に、どんどん気分が乗っている時間帯には、雑音がなく、他人から干渉されない自室で勉強した方がいいかもしれません。
子供は「勉強して結果を出す」という義務を果たし、これに対して親は「ほめてよい気分にさせる」という報酬を与えるのですから、これは一種の契約です。そこで最初に報酬に関する契約内容を確定しておかなければなりません。ここでは「ほめる」ことの大切さを強調するために多少誇張しましたが、実際には子供と親の間で契約内容を決めてから報酬を与えることが必要です。したがって子供が義務を履行しない場合は報酬を与えられないケースも出てきますが、これについても「知識問題の学習方法」の項であらためてふれます。最終的には他人からの動機づけが不要になる初心者には勉強の原動力となる報酬が必要ですが、ほめられる快感に釣られて勉強を重ね、一定レベルに達すると、子供は正当な自己評価ができるようになります。すると「やっぱり僕は天才だ」「私は本当に頭がいい」などと、自分自身の能力に陶酔しはじめます(この虚像を打ちくだくために定期的なテスト受験が必要なのですが……)。この段階になれば「ほめられてよい気分にしてもらう」などという報酬は必要ありません。あとは自己陶酔の快感を求めて勉強がやめられなくなる状態におちいります。ここで親がへたにほめたりすると「どうせなにもわかっていないくせに」と逆襲されますから要注意です。うまく導けば、自分自身で満足感が得られるようになり、そうなると中学生になってからも自主的に勉強できるようになります。見方を変えれば、子供をこの自己陶酔の状態に導くことが受験勉強の最終目標で、他人から動機づけを与えられているうちは一人前の受験生とはいえません。
近年、歴史教科書が話題になっています。これはあたかも教育だけの問題であるかのような印象がありますが、じつは大人社会にも大いにかかわりがあるのです。近隣諸国との摩擦がエスカレートすれば、経済関係に悪影響を与えて、貿易などに跳ね返り、とどのつまり景気に響きます。だから歴史認識を大人の問題として捉えることは、経済の問題そのものなのです。教育という点で見れば、教科書には検定という壁があります。文部科学省は特定の方向で歴史の見方をしなければならないと思い込んでいるフシがあり、それが検定で現れます。そこが関係国から見て問題視されるわけです。なぜなのかを考えると、国内では検定が教育だけの問題で判断されるのに、外国では政治的な意図とみなされるからです。教育サイドの人間は、もっと広く、経済や外交などの影響を考えないといけません。本来は検定を廃止し、教科書会社が勝手にやったというスタンスをとったほうが賢明でしょう。私の考え方としては、一つの歴史観に基づく教科書だけでなく、いろいろな立場の教科書があれば、考えが多面的になり推論の幅が広がると思います。つまり、授業でも一冊の教科書だけを使うのではなく、別の史観の教科書も同時に使うことで、歴史の解釈の多様性を教えていけばよいのです。
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